昭和三十二年、私は市川に生まれた。
新しい建物が次々と建ち、町は少しずつ姿を変えていった。
まだ市川駅にダイエーが建てられる前のこと。
小さな飲食店や居酒屋が、迷路のように軒を連ねていた時代だった。
そんな華やかな町から、少し離れた場所に我が家はあった。
長屋のような造りで、真ん中に井戸があり、それを囲むように三軒の家が並んでいた。
そのうちの一軒が、私の家だった。
二階建てなのに、一階だけで五か所ほど雨漏りがする。
窓は開かず、畳は四畳半。
夫婦の寝床は、畳を何枚も重ねただけの、時代劇に出てくるようなものだった。
二階は押し入れの奥に壁がなく、外がそのまま見えた。
机は、タンスの引き出しを裏返して作ったもの。
窓はガラスではなく、コールタールトタン。
閉めれば、昼でも真っ暗になる。
そんな家に、家族五人で暮らしていた。
私が三歳の頃だったと思う。
今でも忘れられない出来事が起きた。
人から見れば、ごくありふれた話かもしれない。
けれど私にとっては、この日を境に、何かが静かに始まってしまった。
そんな出来事だった。
その日は、町内会のスイカ割り大会の日。
私は当然、一緒に行くものだと思っていた。
兄たちの後を追い、外へ出ようとした、その時。
突然、母が私の腕をぎゅっとつかんだ。
「ヨシオはまだ小さいから、ダメ!」
私は叫んだ。
「なんで、なんで……」
そうしているうちに、兄たちの後ろ姿は消えていった。
私はその場に、一人残された。
たったそれだけの出来事だ。
同じような経験をした人も、きっといるだろう。
けれど私は、その瞬間、
人として初めて「孤独」を知った。
胸の奥に広がる寂しさ。
理由のわからない空白。
なぜ、この記憶が消えなかったのか。
それは、その後の人生でも、
同じ感覚を何度も味わうことになったからだ。
何かあるたびに言われた。
「お前はまだ小さい」
「お前はまだ小さい」
気づけば私は、
孤独と一緒に生きるようになっていた。
その深い孤独感のせいで、
私は五十歳を過ぎても、友達ができなかった。
人は周りにいた。
それでも、心は満たされなかった。
皆さんは、孤独を感じたことがあるだろうか。
誰かに、ぎゅっと抱きしめられて、
思いきり泣きたいと思ったことはないだろうか。
私は、ずっとそう思いながら生きてきた。
五十歳を過ぎた頃、私は知人に聞いた。
「友達は、どうやって作るんですか」
その人は、淡々と答えた。
「簡単だよ。自分から行けばいいんだよ」
言葉にすれば、確かに簡単だった。
だが、心はすぐには動かなかった。
周りには人がいた。
友達と呼べそうな人もいた。
それでも私は、近づいては逃げていた。
それでも少しずつ、人と向き合うようにした。
すると、不思議なことに、
少しずつ人とのつながりが生まれていった。
人は生きていると、
自分を壊してしまう出来事に、いくつも出会う。
私の場合、その始まりは、
三歳の頃の、あの小さな出来事だった。
最近、子どもの自殺が増えていると聞く。
共働きが当たり前になり、
十分に愛情を注ぐことが難しい時代なのかもしれない。
だからこそ、
寂しい思いをして家に帰ってきた子どもがいたら、
どうか、ぎゅっと抱きしめてあげてほしい。
それだけで、孤独は心に残りにくくなる。
孤独が心の奥に残ってしまうと、
簡単には消えない。
社会に溶け込むことも、難しくなる。
それでも私は、
プロ野球やシンガーソングライターに挑戦し、
何度転んでも、立ち上がって生きてきた。
そのたびに、
胸の奥で、消えそうな火を守り続ける自分がいた。
逃げずに生きようとする、もう一人の自分。
私はそれを、
**火妖人(びようじん)**と呼んでいる。
私は、美容師でも専門家でもない。
ただの、素人の経営者だ。
それでも、美容や「自分を大切にすること」と向き合う中で、
孤独と共に生きる自分を、
少しずつ受け入れられるようになっていった。
これは、
私の中に火妖人が生まれた、
その始まりの物語である。

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