
**火妖人(びようじん)とは**、孤独から生まれた「心の炎」
悩みや苦しさの中で、何も言わずにそばにいて、
静かに支え続けてくれる存在です。
ーー増田ヨシヒロ
ファーストコンサート
今、振り返って思う。
若者のパワーは、本当にすごかった。
一人でコンサートを開くなんて、普通に考えればできるはずがない。
そんな大それたことを、自分がやろうとしていたのだから。
それでも――
弾き語りを続けていくうちに、少しずつファンが増えていった。
ひとりが声をかけ、またひとりが誰かを連れてくる。
気がつけば、人と人とがつながり、
私が何もしなくても、話は自然と動き出していた。
200人が集まった日
無名のシンガーソングライターのコンサートに、
200人近くの人が集まってくれた。
信じられなかった。
人前で歌うのは好きだった。
でも――見られることは、どこか苦手だった。
それでも、その場の熱気がすべてを忘れさせてくれた。
弾き語りとは、まったく違う空気。
「コンサート」という言葉の響きは、ずっと憧れていたものだった。
しかも、今回はファーストコンサート。
気持ちはどこか軽く、
けれど心の奥は、緊張でずしりと重い。
おかしな日本語かもしれないが、
まさにそんな感覚だった。
ステージに立つ瞬間の思い
これまでの練習。
そして、いろんな人との会話が頭をよぎる。
「そうじゃないよ」
「いや、こっちのほうがいいと思うよ」
「この歌はギターソロから始めたほうがいい」
みんな、本気で考えてくれていた。
一つのことを成功させるには、
とことんこだわることが必要なんだと、改めて思い知らされた。
ファンだった人たちも、コーラスとして参加してくれた。
まったくの素人なのに、
アドバイスをしっかり受け止めて、何度も練習を重ねてくれた日々。
そのすべてが、ステージの上に重なっていく。
始まる、でもうまく話せない自分がいる
そして――コンサートが始まる。
人と話すのが苦手な私は、
緊張のあまり、言葉がうまく出てこない。
何を話しているのか、自分でも分からない。
「次の曲は…」
「では始めます。」
曲の紹介をしないまま、歌に入る。
みんな大笑いだった。
漫才でいえば、一人突込みみたいな感じでした。
自分でもおかしいと思う日本語。
それでも――
そんな不器用な言葉を、最後まで喜んでくれました。
なぜ、こんなに会話が下手だったのか。
三人兄弟でありながら、
いつも一人で過ごしていた自分。
人と話す機会が少なかった。
だからこそ――
歌を通じて、伝えたかったのだと思う。
私の友達は、火妖人(びようじん)という、孤独の中にいる存在だったから。
歌うことで変わったもの
10曲ほど歌ったと思う。
すべてオリジナル曲。
毎日積み上げてきたものが、
一曲一曲、確かに消化されていく。
そして――
プロ野球の夢が絶たれ、
自殺まで考えていたあの頃の自分は、
もう、そこにはいなかった。
人生に悩んでいる人へ
悩んでいるときは、苦しいなんてものじゃない。
人に相談しても、
どうにもならないことだって、たくさんある。
でも――
必ず、人生には転機が来る。
自分の中にいる火妖人(びようじん)が、
きっと助けてくれる。
このあとも私は、転び、悲しみ、
たくさんの試練を経験することになる。
私の転機は、
考え方を180度変えたことだった。
簡単なことじゃない。
時には、自分自身を捨てることにもなる。
それでもいい。
人生は、みんな違っていていいのだから。
間に合わなかったレコード
実は――
当日配る予定だったレコードが、間に合わなかった。
「レコードは、まだですか」
その言葉に、焦りだけが募る。
完成したのは、前日の夜だった。
厚木まで、彼女と二人で夜中の高速を走る。
ありがたいことに、付き合ってくれた。
正直に言うと――
そのレコード、25万円くらいだったと思う。
彼女に借りたんです。
いまだに返していない。
そのあと結婚したのだが。
それでも――
「まあ、いいか。」
アンコール
最後に歌ったのは、オリジナル曲「我が道を行く」。
静かにギターソロから始まる。
一番が終わった瞬間、
ドラム、ベース、ギター、ピアノが一気に鳴り響き、
会場を包み込む。
そして――
コンサートは終わるはずだった。
だが、
「アンコール……アンコール……」
その声が、会場に広がる。
あの瞬間の空気は、今でも忘れられない。
そして私は、レコード曲「めぐり逢い」を歌い、
コンサートは無事に幕を閉じた。
覚えていないほどの喜び
嬉しくて――
正直、そのあとのことは、ほとんど覚えていない。
昔のことや人の名前を覚えるのが、もともと苦手なのだ。
ただ一つだけ、心に残っている。
みんなに、
きちんと感謝を伝えられただろうか。
当時の自分は、まだ常識とか感謝とかわかっていないときでした。
それが、今でも気がかりです。。
45年後の今
あれから45年。
68歳になった今、
再びYouTubeで挑戦している。
WordPressを学び、
Canvaでデザインを覚え、
GPTの使い方を知り、編集して
動画として発信する。
こうして、もう一度挑戦できているのは――
あの時、支えてくれた人たちのおかげだ。
忘れられない人たち
くれよんのママさん。
クレドールのママさん。
ジャコールのママさん他
たくさんの方に雇ってもらいました。
そして、後援会長をしてくださった
喫茶店たんぽぽのママさん。
今なら――
90歳、あるいは110歳になっているかもしれない。
あの頃、応援してくれた人たちは、
今も元気でいるのだろうか。
私は、68歳になった。
だからこそ――
記憶に残っている名前だけでも、残しておきたい。
辻村
田崎
行木
吉沢
斎藤
そして――
バンジョーを弾いてくれた人。
ごめんなさい。
どうしても名前が出てこない。
それでも――
本当に、ありがとうございました。
黒子ダイル–
※ここまでは、若き日の挑戦と挫折を語ってきました。
夢もここで終わりますが、68歳で再び夢との出会い。
人生は不思議な生き物ですね。


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